10年後の後悔


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どうしても、誰かに聞いて欲しくてさ。

10年後って言ったら28だ。18から社会人やることになったわけだから、社会人歴も10年になろうとしてて、ある程度こなれたもんだろう。

色々落ち着きながらもさ、恋人ができる気配なんて相変わらずなくて、落ち着いた人生に少しばかりのフレーバーを求めていたりするのかもなぁ。

そんな自分の一番の楽しみときたら、昔からの馴染みと会うことだ。

何週間に一回、土曜にでも集まって、昼間っからマズイ酒でも飲みながら、ダラダラと持て余した人生の欠片を浪費していくんだ。

そんでもって、昔やってたゲームを引っ張り出してきたりしちゃってさ。

ダラダラそれぞれが今の自分のことを語りながら、楽しかった過去をゲームから思い出して、ちっとばかり感傷的になるんだ。

だけどさ、一人でいるわけじゃあないから、そんな自分たちをみて、ゲラゲラ笑うんだ。

気がついたら陽も暮れてていい時間でさ。適当に冷蔵庫に残ってたあり合わせの素材たちを、乱雑にホットプレートに乗せて食ってさ。

そんでもって、まだ土曜だしとか言って、酒もより入ってさ。

勢いでダラダラ話してて、落ち着いてきた頃には、日付も変わって日曜がきたことを知ってさ。

「そんじゃ寝るか」とでも言ったら、不揃いではあるものの苦痛であるほど不足してるわけでもない寝具を出したら、そのまま眠りについてさ。

目が覚めたら陽はてっぺんまで登ってしまっててさ、残り少ない週末でやり残したことをやっていくために、急いで帰っていてさ。

家主の自分は「やれやれ」と思いながらも、そんな些細な幸福を、少しでも残そうかとするように、ゆっくりと片付けを始めていくんだ。

そして、そんな世界が、自分が求めている幸福だと思ってるんだ。

……でもさ、今生きてる世界では、3年後、5年後、10年後にそんな世界に生きてる姿が想像もつかないんだ。

学校という組織に属している間にできた友人は片手で数えられるほどしかいないし、自分の得意分野で繋がってきた人は大半は関西圏の人だ。

光ファイバーを介して知り合った友人であれば全国にいるが、それによって作られた関係は、現実のそれとは比べ物にならないほど切れやすい。

そんな世界で生きている自分が、10年後、何か大きなものを手に入れていても、求めていた些細な幸せを逃しているような気がしてならないんだ。

そして、それを考えるたび、毎日のように今までの自分への後悔が募っていく。

勿論、そういったものが欲しくなるのはないものねだりで、その代わりに色々と大きなものを得てきた自覚はある。

けれどそれでも、その些細な幸せが恋しくなってしまう時が、ときたまあるんだ。

きっと、10年後に自分はこのことで後悔しているだろうと思う。けれど、それは仕方ないことなんだよね。